・ピピロッティ・リストの布団:堀川団地はご近所なので自転車で行くことができる。前日に二歳の息子が高熱を出したせいで、保育園を休ませ自宅で様子を見ていたはいいが、前日とはうってかわってケロっとしているので、ちょっとお出かけも悪くはあるまいということで、息子と二人で散歩がてら堀川団地まで。昭和の趣をたたえる堀川団地のリノベーションが最近話題になっているらしいというのは聞いていたが、国際芸術祭の舞台となるとは。だが、いまも猥雑さの残る商店街の雰囲気に現代芸術がするっと溶け込んでいてもそれほど奇妙じゃない。受付を通って狭いコンクリートの階段を二階に昇ると、ブラント・ジュンソーのマスクがぽつねんと置かれている。不気味な感じでもあり、息子が長居を嫌がるのでそそくさと三階へ。靴をぬいで部屋に入ると、先客が四人、畳の上に寝転んで天井に映し出された映像を見上げている。もうひと部屋、布団が敷かれてあって、そのうえには落下中のおっさんの映像が映し出されている。おっさんの映像をしばらく見ていると、次は女のひとが落ちはじめた。四畳半襖の下張ではないが、昼下がりの団地の窮屈な一室のしどけない暗がりに敷かれた布団は、なにやらシンボルめいているではないか。息子は比較的落ち着いて、不思議そうに天井の映像を眺めている。自分も他の客の横に寝転んでみれば、さらにシンボルめくのではないか、とも思われたが、息子が飽き始めているのでやむなく退散。堀川団地を出た後は、堀川で鳩を追い回して遊ぶ。
・ヘフナー/ザックスの崇仁パーク:仕事の移動のタイミングを利用して崇仁地区に寄ることに。京阪の七条駅で降りた記憶はほとんどないし、崇仁地区に足を運ぶのも初めてだ。七条駅にはパラソフィアに関する案内などはなし。このあたりに一切の土地勘のない自分は、京阪の駅にかかっている地図をいったん確認し、とりあえずこの地区を適当に散策することにした。長く雨の続いたあとの久々の快晴の日であった。いきあたりばったり、川沿いを下ると、小学校跡にたどり着く。パラソフィアとは違うようだが、ここでも何かをやっているらしい。ちなみに事前の下調べはゼロである。ただ崇仁地区、パラソフィア、ヘフナー/ザックスという三つのキーワードだけでふらっとやってきただけだった。
小学校跡での催しは、"Still moving"という京都市立芸術大学の展覧会だった。崇仁地区に今度この大学が移転してくるらしく、その準備も兼ねて、この地区で既にアートプロジェクトを展開している、とのことらしい。興味深い、と思うものの、その日は火曜日であったため、あいにく会場に入ることはできなかった。だが、小学校の門のあたりをうろうろして、二宮金次郎像の写真を撮影したりしていると、管理人のかたが気づいて声をかけてくれて、地図を渡してくれた。それからオランダ人がジャングルジムに植木鉢を並べてマリーゴールドを植えているという、漠然とした情報を提供してくれた。
教えられたとおりに西へ歩いていくと、目当てのヘフナー/ザックスの作品にたどり着く。見た目には空き地に捨てられたガラクタなのだが、いじらしく文明を主張している、という風にも見える。いじらしく、というのは、言い換えればユーモラスに、ということだ。だが同時に、かなり強い度合いでもって、かつて夢想された未来が、意地でもこの世に出てきてやるんだと、身をねじ込んできている様子でもある。コミュニティーホールに掲げられたTシャツの旗を見てから、なぜとはいえないが、突然、岩井俊二の映画『スワロウテイルズ・バタフライ』のことが思い出された。思い返せば二〇世紀末の僕らは、アジアにむやみやたらな憧れを持っていた。未来が幾重にも折りたたまれて今にも爆発しそうなマイノリティたちの多国籍空間としてのアジア。それをいまユートピアとして懐かしく振り返るしかないというなら、もの悲しくってしかたない。時間錯誤。この崇仁パークにいるのは、遠い未来からやってきた遺跡観光者であろうか。未来の共同体をこじ開けようとする日曜大工であろうか。
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