2016年6月5日日曜日

感想:村上靖彦著『仙人と妄想デートする』(人文書院、2016)

(ブログを放置しだしてから随分と月日が経ちました。その間にツイッターなぞに浮気して、こそこそとうめいていましたが、やはりもう少しブログもかわいがってやりたいと、久々に更新します。とはいえツイッターでうめいたことのほぼ再録ですみません・・・)

 村上靖彦さんの新著『仙人と妄想デートする』を読みました。臨床家(看護師や助産師)への聞き取りを通じ、生、死、病に直面する具体的現場の「現象」を捉えようとする
哲学的な試み。一般化された制度的規範からは捉えきれない、自発的な実践的共同性(「プラットフォーム」)を救い出そうとする問題設定に、大きな意義を感じます。

 方法論という観点からも興味深く、臨床家が状況から受ける触発と、研究者がインタビュー/参与観察から受ける触発とが二重に重なり、密度を高めながら、書き起こしを読む読者をもまた触発してくる、そんな局面をはらんでいるように思われました。

 他者からの触発に対する信頼。他者と状況によって、むしろ我々は考えさせられ始めるのだ、ということへの信頼。こうした信頼を思考の出発点とすることには、ある種、ポストポストコロニアル的な時代性も読み取ることができるのかもしれません。

 それゆえに、その分、こうした現象学的方法論にとっての「分析的な知識」の位置、および文筆のスタイルという問題が、また今後、どのように深められていくのかなといった点が気になるところです。

 というわけで非常に刺激的な読書でした。なかでもやはり、未加工のインタビュー素材は、精神分析をかじった者としては、ワクワクせざるをえません。「命題」・「言表」に還元できない運動が、確かにそこにある。前のめり、たじろぎ、ためらい、ぐるぐる、飛びつき、身悶えetc・・・精神分析臨床だとどんな解釈をすることになるのか、など、読みながら想像に引っ張られてしまうこともしばしばでありました。もちろん脱線ですが・・・

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