無意識高い系研究会としてこつこつ継続しております「精神分析と倫理」研究会の第三回を、来る三月一四日(土)に行ないます。ひきつづき「発達障害」を中心テーマとしつつ、今回はサブテーマとして、社会と臨床の接点を思考するという目標を掲げました。かたや社会に組み込まれること、日常を生きるということ、そうしたことのために臨床実践が果たしうる役目は何か。かたや臨床の場面に生じるさまざまな経験に、どのように社会的なものが流れ込んでいるのか。こうしたことを考えつつ、大きくは「現代日本社会」のあり方についても見返すような議論ができればと思います。
第3回「精神分析と倫理」研究会――「発達障害」:社会と臨床のつなぎ―
(http://www.ritsumei-arsvi.org/news/read/id/617)
日時:2015年3月14日(土)13:00~18:00
会場:立命館大学衣笠キャンパス 学而館2階 第3研究会室
研究報告①:発達障害の戦後史―世界、回路、もつれ
渋谷亮(成安造形大学講師/教育思想史)
コメンテーター:河野一紀(滋賀大学特任講師/臨床心理士)
研究報告② :自閉症児の〈身体地理〉
塩飽耕規(NPO法人 性犯罪加害者の処遇制度を考える会/臨床心理士・哲学)
コメンテーター :小倉拓也(日本学術振興会・明治大学/哲学)
主催:立命館大学生存学研究センター
共催:立命館大学人間科学研究所「インクルーシブ社会に向けた支援の<学=実>連環型研究(基礎研究チーム)」
参加費無料、申し込み不要
(今回はポスターなし)
2015年2月10日火曜日
2014年12月30日火曜日
近況:今年の仕事紹介(2)――あるいはマルキドサドのおもいで
今年一年を振り返るということもなかなかままならず、ぎりぎりまでやっています。そういえば年賀状もこれから書かなきゃ。今年の仕事紹介の第二段を、と思っていたのですが、形になるのはどれも来年に入ってからになりそうです。なので本当はもうこの投稿をあげる必要もなかったのですが、ひとつだけ今年のうちにまとめておきたいものが。
今年は、サド没後200周年でした。あまり意識していたわけでもないのですが、ちょうど今年書いた論文(「精神分析実践とマゾヒズム」)では、ラカンの「カントアヴェクサド」の読解を行なっており、それにちなんでサドを久々に読み返すなどしていました。この拙論文は、どちらかと言えば、ラカンのサドへのアプローチを横切って、マゾヒズムのほうへ抜けるという話で、サドよりもマゾヒズムをひいきにしているつくりなのですが、一方で、はじめてのサド読書から自分が得たものはやはり大きかったのだ、ということを、久々にしみじみ思い出したりもしていました(ここから回想)。
サドを初めて読んだのは18か、19の頃だったはず。澁澤訳の文庫版、『悪徳の栄え』でした。これを「一気に」読んだのでしたが、「一気に」というのは文字通り、いっときも休まず、寝る間も食べる間もなく読んだのでした。没頭したというよりは、ある種、「実験」的に。というのも、サドの書き物は、ご存知のとおり、「続きが気になる」といった類のわくわくはあまりないからで、当時は、ほとんど苦行に挑むかのように、そうした読書がしたかったのだ、ということを思い出します。
「苦行」のように、というのは、おそらく「サドを読む」ということが、なにやら「義務」か「必然」のように感じられていたから、ということでもあったはずです。思うに、こうした義務を思春期のうちに感じ取るひとは少なくないんじゃないでしょうかね。つまり若者のいくらかは、既にこんな風な命題を立てて、知らずのうちにサドとカントの結びつきを哲学者たちよりも先取りすることができる。「世界は汚く、醜く、グロテスクである。だからどんなことでも起こりうるこの世界を前に、心を動かさないように、鍛えていなければならない」と。このような義務感から、サド的な世界に入るひとは少なくないのではないでしょうか。
しかし「鍛えていなければならない」とは曖昧な言い方です。「あらゆることを想像して」、「あらゆることを見聞きして」くらいであれば穏便ですが、実はその先もまだある。「あらゆることに手をそめて」という鍛錬のことで、もちろんそこには危うさが孕んでいます。さて、何がその境界を越えさせるか、ということに関しては、僕は今でもまだとても曖昧なことしか言えませんが、しかし、この境界のうえには、やはり恐るべき揺らぎがあり、そのことがサドにおける魅力にも関わっているように思うのです。実際、サドを読むことの不安は、文字と想像力が許す希望とも裏腹のものでしょう。少なくとも僕はサドを読んだ後で、やましさと不安を同時にいだきながらも、次のような命題を信じる気持ちになったのでした。 「言葉と想像力をつうじて描写できるあらゆることは、いつの日か実現しうることである」。思考実験あるいは実験文学とは、そうした意味で、ある組み合わせの実現可能性の領域を取り出してきて いるのに過ぎない。それはどこかで起こりうることである、と。
さらにこのことを信じようとすれば、まさしく組み合わせのひとつの可能性としての自己自身を、「実現」したものとして、と同時に、文字的なものとして、考えるよう導かれるはずです。例えば、やはり僕がサドを読むようになった理由のひとつには、90年代末にあって、若者の凶悪犯罪として世間を騒がせた物事と、自分自身とのつながりを、ひしひしと考えていたからでもあるのは確かです。そんなことひしひしと考えていれば今なら中二病と呼ばれるのかもしれませんが、しかし中二病と呼ばれているものの多くは、しばしば世界に向き合うためのきわめて真面目な態度であることがあります。「なぜ彼はこうなったのか」、そして「なぜ僕は(かろうじて?)そうならずに済んでいるのか」。もし彼を今そうあるようにし、僕をそうあるようにしているものが、ありとあらゆる小さな出来事の連鎖であるのなら、そして同時にそうした出来事を通じてやはり結合したり離れたりする物質の組み合わせであるとするのなら、彼と僕の差異などというものは紙一重でしかないではないか。「歴史」(個人的かつ系譜的)で囲い込むことでかろうじて保たれるような差異でしかないではないか。
では、そのような「歴史」を外してしまうならどうなるか。サドを読み、記号のように何度も何度も殺される死者たちを思い浮かべているあいだに、さらに思弁の翼は広がっていきます。全宇宙の歴史が、そうした出来事と物質の組み合わせの総体であるとして、もしそれを永遠の記号の宇宙として眺めることができるなら、時間の向きも、空間の距離もいまやたいした問題ではない。進化も退化もありはしない。こうするなら、個々人のあいだの差異などもほとんどない。僕がいまたまたまこのようであるのは、彼がいまたまたまこのようであるのと、同じ資格でもってそうあるのであるから、僕がいつか別の時間・空間において(あるいは永遠的現在において)、「彼」であることは十分、ありうることである。なるほど、これが輪廻転生というものではなかろうか。
――というような結論が、若き日のサド読書修行の成果であったとしたら、なんとも突飛かもしれませんが、しかしおおむね、こういうことが心に刻まれたのだったと思い出されます。考えてみれば、その後の自身の研究の一部は、こうしたサドの印象を、なにかしらのかたちで言葉にしようとしてきたということであったようにすら思われるのです。
今年は、サド没後200周年でした。あまり意識していたわけでもないのですが、ちょうど今年書いた論文(「精神分析実践とマゾヒズム」)では、ラカンの「カントアヴェクサド」の読解を行なっており、それにちなんでサドを久々に読み返すなどしていました。この拙論文は、どちらかと言えば、ラカンのサドへのアプローチを横切って、マゾヒズムのほうへ抜けるという話で、サドよりもマゾヒズムをひいきにしているつくりなのですが、一方で、はじめてのサド読書から自分が得たものはやはり大きかったのだ、ということを、久々にしみじみ思い出したりもしていました(ここから回想)。
サドを初めて読んだのは18か、19の頃だったはず。澁澤訳の文庫版、『悪徳の栄え』でした。これを「一気に」読んだのでしたが、「一気に」というのは文字通り、いっときも休まず、寝る間も食べる間もなく読んだのでした。没頭したというよりは、ある種、「実験」的に。というのも、サドの書き物は、ご存知のとおり、「続きが気になる」といった類のわくわくはあまりないからで、当時は、ほとんど苦行に挑むかのように、そうした読書がしたかったのだ、ということを思い出します。
「苦行」のように、というのは、おそらく「サドを読む」ということが、なにやら「義務」か「必然」のように感じられていたから、ということでもあったはずです。思うに、こうした義務を思春期のうちに感じ取るひとは少なくないんじゃないでしょうかね。つまり若者のいくらかは、既にこんな風な命題を立てて、知らずのうちにサドとカントの結びつきを哲学者たちよりも先取りすることができる。「世界は汚く、醜く、グロテスクである。だからどんなことでも起こりうるこの世界を前に、心を動かさないように、鍛えていなければならない」と。このような義務感から、サド的な世界に入るひとは少なくないのではないでしょうか。
しかし「鍛えていなければならない」とは曖昧な言い方です。「あらゆることを想像して」、「あらゆることを見聞きして」くらいであれば穏便ですが、実はその先もまだある。「あらゆることに手をそめて」という鍛錬のことで、もちろんそこには危うさが孕んでいます。さて、何がその境界を越えさせるか、ということに関しては、僕は今でもまだとても曖昧なことしか言えませんが、しかし、この境界のうえには、やはり恐るべき揺らぎがあり、そのことがサドにおける魅力にも関わっているように思うのです。実際、サドを読むことの不安は、文字と想像力が許す希望とも裏腹のものでしょう。少なくとも僕はサドを読んだ後で、やましさと不安を同時にいだきながらも、次のような命題を信じる気持ちになったのでした。 「言葉と想像力をつうじて描写できるあらゆることは、いつの日か実現しうることである」。思考実験あるいは実験文学とは、そうした意味で、ある組み合わせの実現可能性の領域を取り出してきて いるのに過ぎない。それはどこかで起こりうることである、と。
さらにこのことを信じようとすれば、まさしく組み合わせのひとつの可能性としての自己自身を、「実現」したものとして、と同時に、文字的なものとして、考えるよう導かれるはずです。例えば、やはり僕がサドを読むようになった理由のひとつには、90年代末にあって、若者の凶悪犯罪として世間を騒がせた物事と、自分自身とのつながりを、ひしひしと考えていたからでもあるのは確かです。そんなことひしひしと考えていれば今なら中二病と呼ばれるのかもしれませんが、しかし中二病と呼ばれているものの多くは、しばしば世界に向き合うためのきわめて真面目な態度であることがあります。「なぜ彼はこうなったのか」、そして「なぜ僕は(かろうじて?)そうならずに済んでいるのか」。もし彼を今そうあるようにし、僕をそうあるようにしているものが、ありとあらゆる小さな出来事の連鎖であるのなら、そして同時にそうした出来事を通じてやはり結合したり離れたりする物質の組み合わせであるとするのなら、彼と僕の差異などというものは紙一重でしかないではないか。「歴史」(個人的かつ系譜的)で囲い込むことでかろうじて保たれるような差異でしかないではないか。
では、そのような「歴史」を外してしまうならどうなるか。サドを読み、記号のように何度も何度も殺される死者たちを思い浮かべているあいだに、さらに思弁の翼は広がっていきます。全宇宙の歴史が、そうした出来事と物質の組み合わせの総体であるとして、もしそれを永遠の記号の宇宙として眺めることができるなら、時間の向きも、空間の距離もいまやたいした問題ではない。進化も退化もありはしない。こうするなら、個々人のあいだの差異などもほとんどない。僕がいまたまたまこのようであるのは、彼がいまたまたまこのようであるのと、同じ資格でもってそうあるのであるから、僕がいつか別の時間・空間において(あるいは永遠的現在において)、「彼」であることは十分、ありうることである。なるほど、これが輪廻転生というものではなかろうか。
――というような結論が、若き日のサド読書修行の成果であったとしたら、なんとも突飛かもしれませんが、しかしおおむね、こういうことが心に刻まれたのだったと思い出されます。考えてみれば、その後の自身の研究の一部は、こうしたサドの印象を、なにかしらのかたちで言葉にしようとしてきたということであったようにすら思われるのです。
2014年12月27日土曜日
近況:今年の仕事紹介(1)
今年は「近況」に関する更新がほとんどありませんでした。なにやら仕事の成果に一区切りを設けるのが難しく、子育てと締切に追われながらあれこれやっているうちに、もう一年がすぎようとしている、といったところです。そこで遅ればせながらですが、いくつか今年の仕事を振り返りつつ、紹介させてもらいたいと思います。
・第一次大戦関連:
今年は第一次大戦開戦から百周年の年でした。当時の精神医学の言説の動きを追った論考を、論集 『現代の起点 第一次世界大戦』第二巻(岩波書店)に寄せております。戦争神経症などについての議論を踏まえ、第一次大戦が、「精神療法」の二度目の誕生の土壌となっていく様について論じております。しかしやはり「現代の起点」ということもあり、いちばんの関心は、ここで生まれたある種のモデル、枠組みが、いかにその後の時代を、今日に至るまで、既定する条件となったか、という点にあり、そのあたりは今後もおいおい調査したいと思っています。
ちなみに、“いまこの時代に”第一次大戦を真面目に受けとるとはどういうことだろうか、ということを、歴史研究のことはさておき、好きに書いたエッセイを『図書新聞』紙に掲載していただきました。
・J.ランシエール『平等の方法』:
翻訳に参加した現代フランスの哲学者ジャック・ランシエールのインタビュー集『平等の方法』(航 思社)が秋に公刊されております。自伝的要素に始まり、それぞれの著作の細かな論点やそれぞれの概念の深みにまで迫る質・量ともに充実したインタビューです。また、あの構造主義の時代から現代までを、ひとつのフランスの哲学がどのように生き延びてきたのかという、フランス現代思想の連続性を示す事例としても興味深く読めるように思います。
・書評「H.ボーシェーヌ『精神病理学の歴史』」:
『図書新聞』3173号に今年出版された『精神病理学の歴史』の書評を執筆しました。こういう本に興味を持つひとというのはそもそも少ないのかなという気がし ますが、しかし、前世紀後半から脳神経科学的なものの見方がかなり逞しく発展しているこの現状を踏まえると、一種の反動として「精神病理学」の人気がまた高まる、という可 能性も考えられるのかもしれないですね。ただ、そのためには支えとなる人文学がしっかりしてなくちゃ、にっちもさっちもいかないわけですが。
ちなみに、「人文学がしっかりしなくちゃ」という話で言うと、今年は、そうした思いから「精神分析と倫理」研究会を始めました。既に二回実施しましたが、今後も、なるべくマシなこと考えて、マシなことやりたいと思っております。
続く
・第一次大戦関連:
今年は第一次大戦開戦から百周年の年でした。当時の精神医学の言説の動きを追った論考を、論集 『現代の起点 第一次世界大戦』第二巻(岩波書店)に寄せております。戦争神経症などについての議論を踏まえ、第一次大戦が、「精神療法」の二度目の誕生の土壌となっていく様について論じております。しかしやはり「現代の起点」ということもあり、いちばんの関心は、ここで生まれたある種のモデル、枠組みが、いかにその後の時代を、今日に至るまで、既定する条件となったか、という点にあり、そのあたりは今後もおいおい調査したいと思っています。
ちなみに、“いまこの時代に”第一次大戦を真面目に受けとるとはどういうことだろうか、ということを、歴史研究のことはさておき、好きに書いたエッセイを『図書新聞』紙に掲載していただきました。
・J.ランシエール『平等の方法』:
翻訳に参加した現代フランスの哲学者ジャック・ランシエールのインタビュー集『平等の方法』(航 思社)が秋に公刊されております。自伝的要素に始まり、それぞれの著作の細かな論点やそれぞれの概念の深みにまで迫る質・量ともに充実したインタビューです。また、あの構造主義の時代から現代までを、ひとつのフランスの哲学がどのように生き延びてきたのかという、フランス現代思想の連続性を示す事例としても興味深く読めるように思います。
・書評「H.ボーシェーヌ『精神病理学の歴史』」:
『図書新聞』3173号に今年出版された『精神病理学の歴史』の書評を執筆しました。こういう本に興味を持つひとというのはそもそも少ないのかなという気がし ますが、しかし、前世紀後半から脳神経科学的なものの見方がかなり逞しく発展しているこの現状を踏まえると、一種の反動として「精神病理学」の人気がまた高まる、という可 能性も考えられるのかもしれないですね。ただ、そのためには支えとなる人文学がしっかりしてなくちゃ、にっちもさっちもいかないわけですが。
ちなみに、「人文学がしっかりしなくちゃ」という話で言うと、今年は、そうした思いから「精神分析と倫理」研究会を始めました。既に二回実施しましたが、今後も、なるべくマシなこと考えて、マシなことやりたいと思っております。
続く
2014年12月2日火曜日
第二回「精神分析と倫理」研究会
今年の7月に開催した「精神分析と倫理」研究会の第二回を、来る12月13日(土)に行ないます。「発達障害」をテーマに、前回の議論を踏まえて、さらに突っ込んだ話を展開できればと思っております。特に「地域医療」への移行をめぐる議論がますます盛んとなっている昨今、将来の医療福祉と倫理のあり方を鑑みつつ、医学、福祉、心理療法、教育といった複数の臨床の層を横断しながら、思想と実践がつきあわされる機会となることを期待しています。
第二回「精神分析と倫理」研究会――「発達障害」論の深化のために――
(http://www.ritsumei-arsvi.org/news/read/id/600)
日時:2014年12月13日(土曜日)13:00-18:00
会場:立命館衣笠キャンパス学而館第3研究会室
研究報告1:ラカン派における自閉症論
松本卓也(自治医科大学/精神科医)
コメンテーター:池田真典(NPO法人ICCC どりー夢共同作業所 所長)
研究報告2:「発達障害における「生」と「死」の問い」
牧瀬英幹(大西精神衛生研究所付属大西病院)
コメンテーター:渋谷亮(成安造形大学)
主催:立命館大学生存学研究センター
共催:立命館大学人間科学研究所「インクルーシブ社会に向けた支援の<学=実>連環型研究(基礎研究チーム)」
参加費無料、申し込み不要
第二回「精神分析と倫理」研究会――「発達障害」論の深化のために――
(http://www.ritsumei-arsvi.org/news/read/id/600)
日時:2014年12月13日(土曜日)13:00-18:00
会場:立命館衣笠キャンパス学而館第3研究会室
研究報告1:ラカン派における自閉症論
松本卓也(自治医科大学/精神科医)
コメンテーター:池田真典(NPO法人ICCC どりー夢共同作業所 所長)
研究報告2:「発達障害における「生」と「死」の問い」
牧瀬英幹(大西精神衛生研究所付属大西病院)
コメンテーター:渋谷亮(成安造形大学)
主催:立命館大学生存学研究センター
共催:立命館大学人間科学研究所「インクルーシブ社会に向けた支援の<学=実>連環型研究(基礎研究チーム)」
参加費無料、申し込み不要
2014年10月19日日曜日
書評:小林芳樹編訳『ラカン 患者との対話』(2014)
ラカンといえば、一昔まえには、「小難しい理論を並べるわりには臨床で何をやっているのか見えてこない」、というのが批判の対象ともなったものだ。その背景には、『エクリ』出版当時から“構造主義の思想家”に祀り上げられたラカンが、長らくのあいだ哲学思想/文化批評の文脈でのみ受け入れられてきた、という事情もあるだろう。その点、振り返ってみれば、読者のほうがスタートでそもそも躓いていたとも言える。ラカン自身は常に分析家に向けて、つまり臨床家に向けて語っていたのだから、小難しい理論は最初から実践の話として聞くべきだった。しかし、それでも相変わらずラカンに文句を言いたくなることがひとつあるとすれば、彼はあまりに自身の臨床経験について語ることが少なかった、ということだ。その稀有な例外のひとつが「ジェラール症例」である。
この症例記録については、僕も、ものの本での言及をつうじて存在だけは知っていたが、実際に確認するまでには至っていなかった。このたび小林氏による翻訳と充実した解説つきで日本語として読めるようになったわけで、率直に言ってこれは、日本のラカン研究にとってかなり大きな前進である。というわけで、記念の意もこめて、読みながら考えたことをちょっとだけメモっておく。
「ジェラール症例」。一九七六年にラカンがサンタンヌ病院での臨床提示で行なった、患者とのインタビューの記録である。この臨床提示というやつは、僕もパリにいたあいだに何度か出席したが、もし当時と今とで大きく変化がないのであれば、だいたいこんな感じを想像すればよいのではないか。病院内のちょっと広めの部屋、おそらく研究会などで使用するような部屋の一角に、二つ椅子が向かい合って、しかし適度な距離をあけて並べてある。そこはいわばステージで、それを取り巻くように参加者用の椅子が十分な量、並べてある。二つの椅子には、それぞれ分析家と患者が腰をかけ、簡単な問いかけから出発し対話を繰り広げていく。おそらくそうした決まりなのではないかと思うが、ここで話を聞く側の分析家は患者の主治医というわけではない。だから著者も指摘しているように、この場で「転移」は問題になりにくいだろう。しかし、アンドレ・ブルイエが描いたあのシャルコーの劇的で催眠的な「臨床提示」のことを思い出すなら、転移を無効にするこのずらしは、意図的にデザインされているのかもしれない。
というわけで、聴衆としては、ある意味、舞台のうえで繰り広げられる対話のガチンコ対決を見守るような具合である。さて、ご存知のようにラカンの生まれは一九〇一年であるから、この面接の当時、既に七五歳。達人のようなカリスマを醸し出していたに違いないと想像される。実際、本書で克明に伝えられるラカンの話ぷりからは、何だろう、組み手でもやっているかのごとく、患者のことばを受け、ときに押しとどめ、ときに払いながら、自分からも相手を攻めつ、崩しつするさまが感じ取られる。あるいは別の比喩をつかうなら、それは一種の触診のごとくでもある。患者のことばに張り付いて、丹念になぞり、柔らかいところ、形のないところを押さえて、固くなっている部分を確かめる。こうした話し方は、明らかに、巷のカウンセリング教科書で言われるような受容的な態度などとは一線を画すものだ。読者にとっては、まずこの妙味をあじわうだけでも十分に得るものがある。
サントーム
著者が第三幕でまとめていることでもあるが、ひょっとしたら、この決闘的な(とはいえ想像的ではない)対話は、輪郭を失って溢れ出さんとする精神病的な言語と対峙するための、特別な技法として見るべきものかもしれない。ただ、そのように言うと、神経症的な言語との違いを強調することにもなるだろう。たとえば、じゃあ、ラカンは神経症者とはどんな風にしゃべったのか、あるいはしゃべらなかったのか、ということも気になりはじめる。ところでその一方、この症例提示を読むうえで踏まえておくべき重要なことのひとつは、まさにこの七五歳の老境に達して、ラカンが新たな精神病理構造論を練り上げつつあった、ということである。いわゆる「サントーム」概念として知られるものだ。本書ではこの概念の導入は、おおむね、神経症とは一線を画す「精神病」圏の病理構造の変容という文脈に位置づけられているが、他方、一説には、この概念を通じてラカンは、神経症と精神病を厳密に区別していた父性隠喩的構造から、それを一歩外に引いて捉えることのできる包括的構造論へと移りつつあったとする見かたもある。もっと大胆に単純化して言えば、神経症と精神病の両者をサントームのロジックに同時に従属させるような理論的展望が拓けつつあった、ということだ。こうしたことを踏まえるなら、ここでの「精神病的」という特徴をどのように理解するかは、もう少し複雑な話となってくるだろう。サントーム概念の導入以降も、理論のレベルで神経症/精神病の構造的差異は維持されるのか、それとも別のレベルでの語りが可能となったのか。この問題は特に「父の名」をいかに特権化するか、しないかという、現代ラカン派の未決問題と直結してくるところでもある。
新たな時代の新たな精神病?
ともかく確かなのは、まさにこの時代にラカンは精神病理の新たな把握を必要としていた、ということだ。これを、果たして著者の言うように、時代が変わり社会が変わり病理の実質が変わったので、それに実践的に対応する必要が生まれた、という見かたで割り切ってよいかどうかについては、僕はまだ留保しておきたい。たしかにこの時代には何かが起きていた。そうは思うのだが、では何が起こっていたのかという問いは、七〇年以降の現代史(もしかすると「挫折の現代」史)にとってあまりに重要であり、慎重に考えたいところである。いずれにせよ、本書にその良い手掛りがあるだろうことは疑いない。きれいに整理するとまではいかないが、気になるところをつらつら見ながら、“新たな精神病”と“古い精神病”の違いという論点について考えてみよう。
さて、まず確認だが、この二つの精神病の違いを強調しているのはラカンそのひとである。ただし、それが新旧の違いであるかは、ラカンの言をみても微妙なところではある。さしあたり「古典的精神病」、「フロイト的精神病」を、旧型精神病と受け取っておくことにしよう。その際、その臨床記述の面で引き合いに出されているのがフィリップ・シャスランだという事実は、この両者の差異が横たわる時間的スパンを、少なくとも五〇年くらい引き伸ばすこととなる。「時代の変化」ということを考えようとするなら、もう少し大きな流れを見据える必要があるかもしれない。
しかしそもそも「ジェラール症例」を読むだけで、二つの差はそれほど一目瞭然なのだろうか。ラカンがそう言ってるのに、臨床家でもない自分が異議申し立てするのは不遜きわまりないことではあるが、一見すると、ジェラールにふりかかる多くのことは、たとえば、シャスランの時代のひとであるシュレーバーとの比較によってもある程度、理解してしまえるのではとも思われるのだ。もちろん本書の解説では、理論的にこの部分、ちゃんと解決がついている。古い精神病においては、押し寄せる言葉への対抗策が妄想という無意識的プロセスを通じて行なわれるのに対して、新しい精神病における対抗策では、意識の内省的プロセスが問題となる、というのだ。つまり、内省的活動が自律性を残しつつ、狂気の圧倒に対抗してしのぎを削っているという図式である。ただその場合にも、この二つのタイプを、同じひとつの精神病の経過のふたつの段階と見る見かたも、可能といえば可能ではないか。うーん、なんだか一九世紀以来の古典的な問いを繰り返しているようでもある。精神科の専門家の方にそのうちちゃんとした整理をお願いしたいところだ。
さて、そのような内省型精神病が新たに実在しはじめたものであるかどうか、それがいつからか、などは扱いにくい問題だが、少なくとも、一九七〇年代にそれが精神病理学的な関心の対象になりはじめた、ということは確実に言えそうだ。ブランケンブルクの『自明性の喪失』(1970)も、ラカンと並んでその有力な証左であるといえよう。この認識論的変化という水準に関しては、より一般的に見て、次の二点を確認することができるのではないか。
第一に、「狂気の圧倒」というものを潜在的なものとして捉えること。つまり当人の自己や歴史に対して狂気の位置がいっそうエピソード的なものとなること。徹底的狂気に陥るすんでの可能性のところに患者が立ちはじめること。そのためむしろ激昂や痴呆よりも、不安が治療的関心の中心を占めるようになること。また、翻ってみれば当人にとっても狂気に対して一定の距離が取れるようになるということ。こうしたことは実際のところ、精神病(統合失調症)の「軽症化」という文脈を作っていることでもあろう。精神薬理や予防的介入などの現代臨床の問題やらとの関連も考えられる。また近年ラカン派精神分析が議論する「普通精神病」論と直接に関わってくる論点でもあろう。
第二に、まさにその裏面であるが、「意識」や「内省」といった活動に、新たな価値が与えられるようになると思われる。すなわちそこには、かつて「妄想」や「狂気」に由来していた生産性が、今度は狂気に対抗する「自己」の生産性として移し変えられているように思われる。このところに、ジョイスが開始し、ジェラールが当然のように受け継いでいる、“現代社会”的昇華の特徴もあるだろう。創作物や思想、知的生産を、ひとつのサントームとして、病理的なものによる裏打ちを通じて肯定する社会。いわば、狂気にすっかりとりつかれるのではなしに、自己が狂気とある種の契約を交わし、そこから何かを引き出す社会。さらに話を大きくすれば、この生産と内省のカップリングは、まさに知的かつ霊的な労働が、産業的にも社会的にも主観的にも「自己」の核を形成する時代と相関している、とも言えるかもしれない。
まだすっきりとまとまってはいないが、とにかく、おそらくここのところに、先ほど述べた七〇年前後の云々ということを考える出発点のいくつかがありそうだ。しかしともかくは、また自分なりに「サントーム」論を、あとジョイスを(!)読み直してから、改めて考えることとしよう。
この症例記録については、僕も、ものの本での言及をつうじて存在だけは知っていたが、実際に確認するまでには至っていなかった。このたび小林氏による翻訳と充実した解説つきで日本語として読めるようになったわけで、率直に言ってこれは、日本のラカン研究にとってかなり大きな前進である。というわけで、記念の意もこめて、読みながら考えたことをちょっとだけメモっておく。
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「ジェラール症例」がついに! |
「ジェラール症例」。一九七六年にラカンがサンタンヌ病院での臨床提示で行なった、患者とのインタビューの記録である。この臨床提示というやつは、僕もパリにいたあいだに何度か出席したが、もし当時と今とで大きく変化がないのであれば、だいたいこんな感じを想像すればよいのではないか。病院内のちょっと広めの部屋、おそらく研究会などで使用するような部屋の一角に、二つ椅子が向かい合って、しかし適度な距離をあけて並べてある。そこはいわばステージで、それを取り巻くように参加者用の椅子が十分な量、並べてある。二つの椅子には、それぞれ分析家と患者が腰をかけ、簡単な問いかけから出発し対話を繰り広げていく。おそらくそうした決まりなのではないかと思うが、ここで話を聞く側の分析家は患者の主治医というわけではない。だから著者も指摘しているように、この場で「転移」は問題になりにくいだろう。しかし、アンドレ・ブルイエが描いたあのシャルコーの劇的で催眠的な「臨床提示」のことを思い出すなら、転移を無効にするこのずらしは、意図的にデザインされているのかもしれない。
というわけで、聴衆としては、ある意味、舞台のうえで繰り広げられる対話のガチンコ対決を見守るような具合である。さて、ご存知のようにラカンの生まれは一九〇一年であるから、この面接の当時、既に七五歳。達人のようなカリスマを醸し出していたに違いないと想像される。実際、本書で克明に伝えられるラカンの話ぷりからは、何だろう、組み手でもやっているかのごとく、患者のことばを受け、ときに押しとどめ、ときに払いながら、自分からも相手を攻めつ、崩しつするさまが感じ取られる。あるいは別の比喩をつかうなら、それは一種の触診のごとくでもある。患者のことばに張り付いて、丹念になぞり、柔らかいところ、形のないところを押さえて、固くなっている部分を確かめる。こうした話し方は、明らかに、巷のカウンセリング教科書で言われるような受容的な態度などとは一線を画すものだ。読者にとっては、まずこの妙味をあじわうだけでも十分に得るものがある。
サントーム
著者が第三幕でまとめていることでもあるが、ひょっとしたら、この決闘的な(とはいえ想像的ではない)対話は、輪郭を失って溢れ出さんとする精神病的な言語と対峙するための、特別な技法として見るべきものかもしれない。ただ、そのように言うと、神経症的な言語との違いを強調することにもなるだろう。たとえば、じゃあ、ラカンは神経症者とはどんな風にしゃべったのか、あるいはしゃべらなかったのか、ということも気になりはじめる。ところでその一方、この症例提示を読むうえで踏まえておくべき重要なことのひとつは、まさにこの七五歳の老境に達して、ラカンが新たな精神病理構造論を練り上げつつあった、ということである。いわゆる「サントーム」概念として知られるものだ。本書ではこの概念の導入は、おおむね、神経症とは一線を画す「精神病」圏の病理構造の変容という文脈に位置づけられているが、他方、一説には、この概念を通じてラカンは、神経症と精神病を厳密に区別していた父性隠喩的構造から、それを一歩外に引いて捉えることのできる包括的構造論へと移りつつあったとする見かたもある。もっと大胆に単純化して言えば、神経症と精神病の両者をサントームのロジックに同時に従属させるような理論的展望が拓けつつあった、ということだ。こうしたことを踏まえるなら、ここでの「精神病的」という特徴をどのように理解するかは、もう少し複雑な話となってくるだろう。サントーム概念の導入以降も、理論のレベルで神経症/精神病の構造的差異は維持されるのか、それとも別のレベルでの語りが可能となったのか。この問題は特に「父の名」をいかに特権化するか、しないかという、現代ラカン派の未決問題と直結してくるところでもある。
新たな時代の新たな精神病?
ともかく確かなのは、まさにこの時代にラカンは精神病理の新たな把握を必要としていた、ということだ。これを、果たして著者の言うように、時代が変わり社会が変わり病理の実質が変わったので、それに実践的に対応する必要が生まれた、という見かたで割り切ってよいかどうかについては、僕はまだ留保しておきたい。たしかにこの時代には何かが起きていた。そうは思うのだが、では何が起こっていたのかという問いは、七〇年以降の現代史(もしかすると「挫折の現代」史)にとってあまりに重要であり、慎重に考えたいところである。いずれにせよ、本書にその良い手掛りがあるだろうことは疑いない。きれいに整理するとまではいかないが、気になるところをつらつら見ながら、“新たな精神病”と“古い精神病”の違いという論点について考えてみよう。
さて、まず確認だが、この二つの精神病の違いを強調しているのはラカンそのひとである。ただし、それが新旧の違いであるかは、ラカンの言をみても微妙なところではある。さしあたり「古典的精神病」、「フロイト的精神病」を、旧型精神病と受け取っておくことにしよう。その際、その臨床記述の面で引き合いに出されているのがフィリップ・シャスランだという事実は、この両者の差異が横たわる時間的スパンを、少なくとも五〇年くらい引き伸ばすこととなる。「時代の変化」ということを考えようとするなら、もう少し大きな流れを見据える必要があるかもしれない。
しかしそもそも「ジェラール症例」を読むだけで、二つの差はそれほど一目瞭然なのだろうか。ラカンがそう言ってるのに、臨床家でもない自分が異議申し立てするのは不遜きわまりないことではあるが、一見すると、ジェラールにふりかかる多くのことは、たとえば、シャスランの時代のひとであるシュレーバーとの比較によってもある程度、理解してしまえるのではとも思われるのだ。もちろん本書の解説では、理論的にこの部分、ちゃんと解決がついている。古い精神病においては、押し寄せる言葉への対抗策が妄想という無意識的プロセスを通じて行なわれるのに対して、新しい精神病における対抗策では、意識の内省的プロセスが問題となる、というのだ。つまり、内省的活動が自律性を残しつつ、狂気の圧倒に対抗してしのぎを削っているという図式である。ただその場合にも、この二つのタイプを、同じひとつの精神病の経過のふたつの段階と見る見かたも、可能といえば可能ではないか。うーん、なんだか一九世紀以来の古典的な問いを繰り返しているようでもある。精神科の専門家の方にそのうちちゃんとした整理をお願いしたいところだ。
さて、そのような内省型精神病が新たに実在しはじめたものであるかどうか、それがいつからか、などは扱いにくい問題だが、少なくとも、一九七〇年代にそれが精神病理学的な関心の対象になりはじめた、ということは確実に言えそうだ。ブランケンブルクの『自明性の喪失』(1970)も、ラカンと並んでその有力な証左であるといえよう。この認識論的変化という水準に関しては、より一般的に見て、次の二点を確認することができるのではないか。
第一に、「狂気の圧倒」というものを潜在的なものとして捉えること。つまり当人の自己や歴史に対して狂気の位置がいっそうエピソード的なものとなること。徹底的狂気に陥るすんでの可能性のところに患者が立ちはじめること。そのためむしろ激昂や痴呆よりも、不安が治療的関心の中心を占めるようになること。また、翻ってみれば当人にとっても狂気に対して一定の距離が取れるようになるということ。こうしたことは実際のところ、精神病(統合失調症)の「軽症化」という文脈を作っていることでもあろう。精神薬理や予防的介入などの現代臨床の問題やらとの関連も考えられる。また近年ラカン派精神分析が議論する「普通精神病」論と直接に関わってくる論点でもあろう。
第二に、まさにその裏面であるが、「意識」や「内省」といった活動に、新たな価値が与えられるようになると思われる。すなわちそこには、かつて「妄想」や「狂気」に由来していた生産性が、今度は狂気に対抗する「自己」の生産性として移し変えられているように思われる。このところに、ジョイスが開始し、ジェラールが当然のように受け継いでいる、“現代社会”的昇華の特徴もあるだろう。創作物や思想、知的生産を、ひとつのサントームとして、病理的なものによる裏打ちを通じて肯定する社会。いわば、狂気にすっかりとりつかれるのではなしに、自己が狂気とある種の契約を交わし、そこから何かを引き出す社会。さらに話を大きくすれば、この生産と内省のカップリングは、まさに知的かつ霊的な労働が、産業的にも社会的にも主観的にも「自己」の核を形成する時代と相関している、とも言えるかもしれない。
まだすっきりとまとまってはいないが、とにかく、おそらくここのところに、先ほど述べた七〇年前後の云々ということを考える出発点のいくつかがありそうだ。しかしともかくは、また自分なりに「サントーム」論を、あとジョイスを(!)読み直してから、改めて考えることとしよう。
2014年7月11日金曜日
近況―「精神分析と倫理」研究会
若手の研究者主体に以下の研究会を企画しています。詳しくはリンク先をご確認ください。「精神分析」に関心のあるひとは、臨床・思想ともにそれなりに多くいるはずなのに、なかなか集まる機会も少ないので、まずは集まってみて考えをつき合わせてみよう、そこから何か立ち上がってくるものがあるのでは、という想いが基本にあります。今年度のテーマを「発達障害」に設定していますが、二〇世紀のあいだ自閉症への精神分析的アプローチが家族(特に母親)に原因と責任を過剰に押し付けてきた、との批判を踏まえるなら、なかなか挑戦的なテーマかもしれません。未来に向けて何を言えるのか。現状と向き合いながら思想を鍛えていくための機会になればと願っています。
日時:7月19日(土)13:00―18:00
会場:立命館大学衣笠キャンパス 学而館2階 第2研究会室
研究報告1.「発達障害」の問題圏と精神分析の位置
上尾真道(立命館大学・専門研究員)
コメンテーター:松本卓也(自治医科大学/精神科医)
研究報告2.「主体のポジションとしての「発達障害」」
河野一紀(滋賀大学・特任講師/臨床心理士)
コメンテーター:牧瀬英幹(大西病院/心理士・精神保健福祉士)
主催:立命館大学生存学研究センター
共催:立命館大学人間科学研究所「 インクルーシブ社会に向けた支援の<学=実>連環型研究( 基礎研究チーム)」
参加費無料、申し込み不要
第一回「精神分析と倫理」研究会――「発達障害」をめぐって――
日時:7月19日(土)13:00―18:00
会場:立命館大学衣笠キャンパス 学而館2階 第2研究会室
研究報告1.「発達障害」の問題圏と精神分析の位置
上尾真道(立命館大学・専門研究員)
コメンテーター:松本卓也(自治医科大学/精神科医)
研究報告2.「主体のポジションとしての「発達障害」」
河野一紀(滋賀大学・特任講師/臨床心理士)
コメンテーター:牧瀬英幹(大西病院/心理士・精神保健福祉士)
主催:立命館大学生存学研究センター
共催:立命館大学人間科学研究所「
参加費無料、申し込み不要
2014年5月1日木曜日
近況――「頭がおかしい」ということについて
一回それっきりの講演などで話す際、誤解や異論など、その場で議論できればそれに越したことはないのだが、後からアンケートなどで伝えられたものについては、返答のしようがなくてもやもやすることがある。というわけで、このブログに書いて直接にどうなると言うわけでもないが、ネットの海にでも乗せておけば、どっかに流れ着いて、どうにかなることもありうるかもしれないという曖昧な見込みのもとに、もやもやを少し整理してみることにしよう。
最近、「精神保健福祉」という切り口から研究をはじめようとしていたところ、先日、機会をいただいて、ひとまえでその大枠について話すことがあった。およその話というのはこんな感じ。
1.精神医療は今日、かつての「排除/監禁」実践を克服する方向で動いていること=「地域医療」/「包摂的ケア」の問題への移行=「精神保健福祉」
2.「排除」の克服をより推し進める必要がある一方で、この新たな段階としての「包摂」のなかの「居心地悪さ」に敏感であるべきではないか(「正常化」への圧力、「正常‐異常」の階層化、労働力としての回収など…)
3.精神分析を「居心地悪さ」への抵抗の思想として読めないか(特にフロイト、ラカン)
今後の研究としては、2について、いくつかの論点から丁寧に歴史や現状を整理すること、また3について、それぞれの思想読解をこの筋に即して深めること、ということになっていく。
さて本題。このような話のなかで、問題の中心にあるものを、どう呼ぶか、ということは、なかなか難しい。「狂気」か、「精神疾患」か、「精神障害」か、など。私は自分の話をするなかで「頭がおかしい」という表現を使ってしまい、後のアンケートでこの点についてひとりの聴衆から、「狂気を抱くひとたちを異常者扱いしていて、どうかと思う」との指摘をうけた。まず反省しておけば、ふつう、今日もいまだ差別的表現として受け取られるところのこうした表現を、前提なしに口に出したのは、配慮のないことであった。特に、言葉の問題の背後には、その当事者として関わるひとびとの現実の生活がある、ということも考え合わせれば、いくらでも丁寧に扱わなければならない。このことはもう一度、肝に銘じておきたい。
他方で、改めて、問題の中心にあるものをどう呼ぶのか、ということは考えねばならない課題だ。「狂気」、「頭がおかしい」、「気違い」、「気狂い」、「異常者」――こうした表現が、今、日本で差別的表現として自主規制の対象となっているとすれば、それは、これらの言葉が現行の社会的規範のなかで、つまり「正常」で「頭がおかしくない」ことをよしとする社会のなかで、まさしく「排除」の口実として使われてきたからであろう。しかしこの状況は、「精神疾患」や「精神障害」と呼び変えることで根本的に変化したか、というとそうとも見えない。「精神病患者」という言葉に、今なおまとわりつくのは、この「包摂」社会に移行してなお(完全な「排除」でなければ)周縁に追いやろうとする圧力ではないのか。少なくとも、そこを問題化する必要はあるだろう。
…あるいは「居心地悪さ」は、ひょっとしたら、こうした言葉の問題からも来ているかもしれない。敬して遠ざける、ではないが、洗練された用語を使うことを選び、そうすることで専門家に問題を丸投げして安心してしまうことは、「狂気」と呼ばれる現象のうちで起きていることをわたしたちの課題として捉えるのをあきらめることであるようにも思える。
発表のなかで提起したひとつの問いかけを、もういちど、ここでも繰り返してみたい――「狂気を正常化しようとするのではなく、狂気のとなりにいながら、どのように社会を作っていくことができるか」。ここで「狂気」として言わんとするのは、他人のことであると同時に自らのことでもある。そして「となりにいること」として言わんとするのは、単に、「頭のおかしい」他人(必ずしも精神障害者と呼ばれるとは限らない)とどうつきあっていくか、という話に限らず、もっと根本的に言えば、「自分が頭がおかしい」という潜在性に寄り添っていること、という話でもある。これはもちろん耐え難いことであろう。だから全身全霊で直面しなければならないとまでは言わないし、キツイときには逃げてもよいとは思うのである。しかし、見ないふりをしないこと。さらには、「正常」の圧力で押しつぶしてしまわないこと。このことを、専門家の問題としてよりもむしろ、わたしたち(いわゆる当事者もそうでないひとも含め)の課題として提示したいのである。
それが決して簡単な課題とは思わない。ただ、わたしたちのあいだでともに考えてみることから始めることはできる。それゆえ指摘をくれた人には、もし次に会えるとしたら、こういうふうに話を始めてみたい。「わたしたち自身、ひとりひとり、それなりの仕方で「異常者」であると考えるところから出発して、わたしたちが集まって生きるための仕方を考えてみることができないだろうか」。
まだ言葉足らずで曖昧なところはあるが、さしあたり、まとめとして。
…しかし、最後にもうちょっとだけ、自分語りを――精神分析との付き合いについて思い返してみれば、きっかけこそよくある実存的な問いであったろうが、しかし、これほどに深くのめりこむようになったのは、それが「狂っていること」、「非合理であること」、あるいは「異常であること」のうちに、ある種の肯定性を見出す思想であるように思われたからであった。もちろん、さまざまな側面をもつこの巨大な運動体を見ていけば、実際のところ必ずしもそのように断定できたものではない、ということもわかる。だが、いまでも私の精神分析研究の賭金のひとつは、あいかわらず、その点にあるように思われる。
最近、「精神保健福祉」という切り口から研究をはじめようとしていたところ、先日、機会をいただいて、ひとまえでその大枠について話すことがあった。およその話というのはこんな感じ。
1.精神医療は今日、かつての「排除/監禁」実践を克服する方向で動いていること=「地域医療」/「包摂的ケア」の問題への移行=「精神保健福祉」
2.「排除」の克服をより推し進める必要がある一方で、この新たな段階としての「包摂」のなかの「居心地悪さ」に敏感であるべきではないか(「正常化」への圧力、「正常‐異常」の階層化、労働力としての回収など…)
3.精神分析を「居心地悪さ」への抵抗の思想として読めないか(特にフロイト、ラカン)
今後の研究としては、2について、いくつかの論点から丁寧に歴史や現状を整理すること、また3について、それぞれの思想読解をこの筋に即して深めること、ということになっていく。
さて本題。このような話のなかで、問題の中心にあるものを、どう呼ぶか、ということは、なかなか難しい。「狂気」か、「精神疾患」か、「精神障害」か、など。私は自分の話をするなかで「頭がおかしい」という表現を使ってしまい、後のアンケートでこの点についてひとりの聴衆から、「狂気を抱くひとたちを異常者扱いしていて、どうかと思う」との指摘をうけた。まず反省しておけば、ふつう、今日もいまだ差別的表現として受け取られるところのこうした表現を、前提なしに口に出したのは、配慮のないことであった。特に、言葉の問題の背後には、その当事者として関わるひとびとの現実の生活がある、ということも考え合わせれば、いくらでも丁寧に扱わなければならない。このことはもう一度、肝に銘じておきたい。
他方で、改めて、問題の中心にあるものをどう呼ぶのか、ということは考えねばならない課題だ。「狂気」、「頭がおかしい」、「気違い」、「気狂い」、「異常者」――こうした表現が、今、日本で差別的表現として自主規制の対象となっているとすれば、それは、これらの言葉が現行の社会的規範のなかで、つまり「正常」で「頭がおかしくない」ことをよしとする社会のなかで、まさしく「排除」の口実として使われてきたからであろう。しかしこの状況は、「精神疾患」や「精神障害」と呼び変えることで根本的に変化したか、というとそうとも見えない。「精神病患者」という言葉に、今なおまとわりつくのは、この「包摂」社会に移行してなお(完全な「排除」でなければ)周縁に追いやろうとする圧力ではないのか。少なくとも、そこを問題化する必要はあるだろう。
…あるいは「居心地悪さ」は、ひょっとしたら、こうした言葉の問題からも来ているかもしれない。敬して遠ざける、ではないが、洗練された用語を使うことを選び、そうすることで専門家に問題を丸投げして安心してしまうことは、「狂気」と呼ばれる現象のうちで起きていることをわたしたちの課題として捉えるのをあきらめることであるようにも思える。
発表のなかで提起したひとつの問いかけを、もういちど、ここでも繰り返してみたい――「狂気を正常化しようとするのではなく、狂気のとなりにいながら、どのように社会を作っていくことができるか」。ここで「狂気」として言わんとするのは、他人のことであると同時に自らのことでもある。そして「となりにいること」として言わんとするのは、単に、「頭のおかしい」他人(必ずしも精神障害者と呼ばれるとは限らない)とどうつきあっていくか、という話に限らず、もっと根本的に言えば、「自分が頭がおかしい」という潜在性に寄り添っていること、という話でもある。これはもちろん耐え難いことであろう。だから全身全霊で直面しなければならないとまでは言わないし、キツイときには逃げてもよいとは思うのである。しかし、見ないふりをしないこと。さらには、「正常」の圧力で押しつぶしてしまわないこと。このことを、専門家の問題としてよりもむしろ、わたしたち(いわゆる当事者もそうでないひとも含め)の課題として提示したいのである。
それが決して簡単な課題とは思わない。ただ、わたしたちのあいだでともに考えてみることから始めることはできる。それゆえ指摘をくれた人には、もし次に会えるとしたら、こういうふうに話を始めてみたい。「わたしたち自身、ひとりひとり、それなりの仕方で「異常者」であると考えるところから出発して、わたしたちが集まって生きるための仕方を考えてみることができないだろうか」。
まだ言葉足らずで曖昧なところはあるが、さしあたり、まとめとして。
…しかし、最後にもうちょっとだけ、自分語りを――精神分析との付き合いについて思い返してみれば、きっかけこそよくある実存的な問いであったろうが、しかし、これほどに深くのめりこむようになったのは、それが「狂っていること」、「非合理であること」、あるいは「異常であること」のうちに、ある種の肯定性を見出す思想であるように思われたからであった。もちろん、さまざまな側面をもつこの巨大な運動体を見ていけば、実際のところ必ずしもそのように断定できたものではない、ということもわかる。だが、いまでも私の精神分析研究の賭金のひとつは、あいかわらず、その点にあるように思われる。
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