2013年9月30日月曜日

騒がしいパリ

パリが騒がしい街だというのはやはりひとつの――喜ばしい――事実で、そのことは運がよければ、シャルルドゴールから街中へと向かう列車の中で身を持って知ることができる。アンプやらギターやらを担いで乗り込んだ流しの歌い手が、突然、一曲、二曲始めるのだ。街中についてメトロに乗れば、やはりギター担いだ渡り鳥が、スペイン語やらイタリア語やらで歌いだす。メトロの乗り継ぎの合間、合間に通路を黙々と歩けば、どこからともなく、ありとあらゆる種類の曲が流れてくる。下手も上手もまぜこぜだし、音楽のいわゆるジャンルもさまざまだ。ひとりでエレキベースを練習している風の若者もあれば、ペルーのだろうか、民族衣装を身に纏って「コンドルは飛んでいく」を演奏する集団もある。メトロの乗り継ぎのあいだに見た中でももっとも印象的だったのは、まだあどけさの残る二人組みの少女たちだった。リズミカルなギターに載せて、なかなかしっぽりとしたブルースを歌い上げる様には、既に自信もみなぎっていて、概して早足のパリジャンたちをずいぶん長く引きとめていたっけか。若者に限らずあらゆる年代の層が、なんとも幸せげにひとつの音の周りに集まってる姿は、せわしない都会であるパリが、同時にたくさんの喜びを湛える街であることを再認させてくれる。音楽との出会いを、街がすすんで用意してくれていることの居心地よさ。古典音楽から大衆音楽までも含め、音楽をマーケティングの対象としてでなく、文化として尊重しようとする気概が、メトロの乗り継ぎの通路の影から、あるいは現代音楽のライブを準備する教会の内側から、あるいは駅に張り出されたロックバンドのポスターから、そこはかとなく感じ取られる心地がする。パリの騒がしさの奥には、そんな音楽への愛情もまた聞こえてくるのだ。

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