2013年11月7日木曜日

近況(東京、マゾヒズム)

先日、実に久しぶりに東京に出かけた。東京は僕にとっていつも、不思議とある種の異国情緒を与える街だ。けれどこの異国情緒も毎回ちょっとずつ違っていて、今回は――今年のはじめにいたパリの影響か――大都会的なスノッブな雰囲気に圧倒されるような気分だった。別のときには例えば、アジアっぽい猥雑さを感じたり、南国っぽい人懐こさを感じたりしている。単に、東京にもいろいろな地域があるというはなしだろうか。そうかもしれないが、なにせ東京のことについてあまり知らない。東京のことは、ひとの多すぎる街というので、そもそもあまり好きではなかった。最近はそうでもなく、いくたびになんだかんだで新鮮な印象があるので、むしろ興味が湧いてきた、というようなところもある。行くたびに東京の印象がさまざまである理由について考えてみたが、ひょっとしたら、東京への乗り入れ方と関係があるのかもしれない。今回は、新幹線で東京駅まで行ったのだった。これはやはり出迎えられ方としては、大都会的でスノッブにならざるをえまい。昔はほとんどいつも夜行バスで新宿に降りていたのだった。これはどうしたって逞しい気分になるだろう。夜行バスを早朝に降りて新宿あたりをぶらぶらするときには、僕にはいつも、ある種の強迫がつきまとった。脳内を東京をうたった歌が流れるのだ。東京をうたった歌は、たいてい、東京をネガティブに捉えているか、軽佻浮薄に捉えているかのどちらかで、いずれにせよ悲哀がただよう。しかし、新幹線で東京駅に降りた今回は、そうした強迫を免れることができた。その代わりにやたらと東京のビジネスマンに気を取られた。なにがって、東京の公共交通機関にあふれるビジネスマンの、半分以上がノーネクタイで、パリッとした襟のシャツのうえにスーツを着こなしていたことだった。今も流行っているのか知らないが「チョイ悪」という言葉を思い出して、なんだかアグレッシブだ、と思ったのだったが、よく考えてみると、むしろクールビズというやつだったのだろうか。それはそれで、11月に入ったとたんに、あの半分のビジネスマンたちが一気にネクタイを締めだすのだとしたら、やはり奇異な感じがする。ところで、あまり足を踏み入れず、新しいイメージで上書きされない分、僕の記憶には、まだ、節電のために暗くなっていた品川駅がありありと浮かぶ。あの暗さと、ノーネクタイのビジネスマンの尖ったシャツの襟とのあいだにあるつながりとは何だろう。

さておき、東京行きの目的はひとつの発表のためで、そこでは精神分析実践とマゾヒズムとを付き合わせる試みを行った(「研究業績~発表」のページを更新)。いくつか大変ためになるコメントをもらうことができたので、これについてはまたこれから、こまごま検討にかかりたい。個人的な話になるが、学部時代に読んだ蓮見訳ドゥルーズ『マゾッホとサド』が自分のうちに敷いたひとつの方向性というのが、かなり大きいものだったのだなと改めて思う。そうしたわけで、マゾヒズムについての僕の基本的な捉え方は、いつもすぐれて肯定的だ。それはそれでいけないというのではないが、しかし、確かにこの点については、一般的なマゾヒズム観との関連では危ういところもあるので、もう少し慎重になってもよい。つまり奴隷根性やルサンチマン、あるいはシニシズムなどと区別される点を強調するということ。ドゥルーズの仕事との関連ではたびたび指摘されているであろうはずのことであるが、ラカンの精神分析との関連からは、このあたり、どのように整理できるか、少し考えてみなくてはならないだろう。

ともかく、いろいろと締め切りの立て込んだ10月も終わったので、しばらくは溜まっている本を読み漁る。

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